【第5章】新たな価値創造のための企業変革の必要性

参入モデルの型

ヘルスケアエコシステムにおいて新たな価値創造を行うためには、自社単独でこれまで推進してきた事業モデルに捉われることなく、自社のビジョン、戦略、有形無形の資産と強みなども踏まえて、エコシステムへの「参入モデル」を検討する必要がある。ここでは5つの代表的な「参入モデルの型」を特定した。1つのモデルを選ぶケースもあれば、異なるモデルの組み合わせを選ぶケースもありえる。

1. バリューチェーンインテグレーター

この基本型は、前章で例に挙げたProject DOCにおけるUT Systemの役割に該当するが、医療制度のバリューチェーン内のさまざまなパートナーを巻き込んだ包括的なエコシステムを設計し、そうしパートナーから資源を集めてフル活用することで、健康改善・医療費低減などの共有の目標達成を目指す主導者になることを意味する。既存のインフラと流通チャネルを活用することで、新たに市場参入する際にかかるコストや全体的な営業コストを大幅に削減し、同時にその活動範囲を広げることができる。実際に、米国ではProject DOCの例以外にも既に民間保険会社、薬局、薬剤給付管理会社の三者による大規模なパートナーシップが実現している。そして、小売業者と医療サービス企業がヘルスケアでの多様化を図り、実店舗とオンラインストアを融合させて、ヘルスケアとウェルネスに関する製品やサービスを消費者の自宅のより近くで提供しているのである。

バリューチェーンを統合するには、関係するプレイヤーはさまざまなパートナーに協力依頼を検討する必要がある。というのも、大規模なサービスを構築し、広範なパートナーのネットワークを通じて、できる限り多くの消費者に価値を提供することによって、バリューチェーンの統合が実現されるからである。ただ、デジタル時代においては、物理的な広範さに頼ることだけが規模拡大の方法ではない。成功の度合いは、どれだけ多くの人に影響を与えたかによって決まるものである。

2. コミュニティハブプロバイダー

高齢化が進み、慢性疾患が増加することで、1次診療サービスへの負荷が高まる中、今後は地域密着型ケアが発展し、より多様化すると思われる。薬局、フィットネス、食事管理、精神面のケアなど、他のウェルネスサービスの提供者も大きな役割を担うようになっている。単独プロバイダーのネットワークであろうと、地域の小規模ハブの集合であろうと、形式はともかく、「地域ハブの統合者」という新たな型が登場しつつある。この基本型が提案する主要な価値は、治療的処置ではなく予防的処置に重点を置くことによって、地域密着型ケアのケイパビリティや消費者の利便性を向上させ、緊急医療システムの能力を確保するというものである。

こうしたハブによって、地域密着型ケアの提供が可能になり、高齢者の住宅、薬局、小売業者、新しい病院制度など、地域に根差した新たな資源を最大限活用できるようになる。それが将来的には、在宅ケア、退院計画、ケアの案内説明、輸送など、他の地域ケアサービスと直接協力できるテクノロジー資産や専門的人材をもたらすことにつながる。

3. デジタル・ネットワーク・プロバイダー

このモデルでは、消費者や患者のデータを構築する場合が多い。医療機関の電子カルテデータと消費者が自己管理するヘルスケアデータなどのリアルワールドデータを組み合わせ、他の消費者向けのヘルスケアサービスにもアクセスできるようになれば理想的である。一部の官民は協業して、既にこうした戦略を実施している。最終的にはデジタルネットワークとして統合し、1つの連結ヘルスケアネットワークとして統合される可能性もある。

これらのネットワークは、既存のデジタル・ヘルスケア・プラットフォームを利用し、外来、薬局、緊急、在宅介護、准看護師など、既存のケア提供者とのつながりを強化することもできる。そうすれば、オンラインでの相談や薬の処方、照会、個人のカルテ記入などのサービスに活用できるようになる。IoT、クラウドコンピューティング、データ分析、AI、機械学習といったテクノロジー(さらにいえば自動運転車や電子商取引など、それらを適用できる実用的方法)の進歩が続く以上、デジタルネットワークとの統合は必須である。デジタルによって連結されたネットワークプロバイダー同士は、システムの相互運用性やデータシェアリングを軸に、情報技術で競合していくだろう。

デジタルネットワークの中で単独活動はできない。こうしたネットワークが交流と意見交換の場となり、共同戦略を策定したり、パートナーシップを結んだり、製品やサービスの発表につながったりする。エコシステムによって、救急治療提供者、診療所、薬局、小売業者、在宅介護サービス提供者、民間保険会社、新興企業、慈善団体などが相互に連携できるようになるのである。

4. プロダクト・サービス・マーケター

この基本型は、治療の質を改善し、効果を高め、全体のコストを削減できるヘルスケア製品やサービスを提供している。こうした製品やサービスの中には、救急医療提供者や関連施設に対象を絞ったものもあるが、大抵は、消費者の自宅近くでケアを提供できるようにするところにビジネスチャンスがある。他との差別化を図ったバーチャルあるいは実際の製品やサービスもそれに含まれ、今後は疾病予防や費用のかかる複雑な慢性疾患に取り組む必要性がますます高まるかもしれない。パートナーシップや新しいイニシアチブを通じて新規顧客を引き付け、必要な場合は彼らと密接で長期的な関係を構築することも、この基本型の根本的なケイパビリティの1つである。それは特定の疾患についてのパートナーシップの場合もあれば、患者の全体的な健康ニーズに対応するために結ぶ新たなパートナーシップの場合もある。また、長期的に使用することで問題を解決できる製品やサービスを消費者が取り入れ、継続できるように、行動科学に基づいてインセンティブなどの奨励策を活用する必要もある。

製薬企業や医療機器メーカーのように、これまで「モノ売り」を中心に行ってきたプレイヤーは、この参入モデルに留まり、できる限り自社製品やサービスの販売機会の拡大に努めることは、もちろん戦略オプションの1つである。一方、自動車産業におけるOEMメーカーが戦略の見直しを迫られたように、新たな価値創造に向けて、他の参入モデルとの組み合わせを目指すオプションも各社は模索している。

5. データ&インサイトマネジャー

多くのエコシステムプレイヤーはデータを収集している。そして、データの収集を始める者が増えると同時に、このデータの規模、範囲、スピードは増す一方である。「データ&インサイトマネジャー」というこの基本型にとって、データの連結は優先課題である。それも、患者との直接の関わりによって得られるデータだけでなく、患者の毎日の健康やヘルスケア関連の購買決定の決め手となる嗜好や社会的状況などのデータを連結するのである。これらの情報によって得られたインサイトは、より円滑でカスタマイズされた顧客体験を提供し、顧客とのつながりを維持するのに役立つ。また、こうしたインサイトをリスク管理の側面に活用することで、よりよい治療計画を作成し、全体の効率向上を図ることもできる。

その中で優位に立てるは、企業の厚生保険プラ、ホームドクター、薬局と消費者の個人情報を連結できるプレイヤーである。データを連結することによって、ヘルスケアに関する適切なインサイトを顧客に提供することや、製品やサービスの開発・販売につなげることができる。例えば、さまざま医療給付プログラムから得られる請求データと予測・分析を組み合わせることによって、ウェルネスサービスをカスタマイズできる。その結果、常習的欠勤や身体障害の原因となる心身の不調を予防できると同時に、公衆衛生制度への負荷を減らすことができるのだ。このようなサービスを通じて、従業員向けに最適化された健康管理プログラムの開発、利用促進、管理強化の実現が可能となる。

ここで説明した5つの基本型は、革新的かつアジャイルなパートナーシップを成立させることで組み合わせる必要がある。例えば、「データ&インサイトマネジャー」の連結システムから出力したデータを、「デジタル・ネットワーク・プロバイダー」のAI テクノロジーと組み合わせることで、高度な分析が可能になる。効率性や患者体験など、ケアのさまざまな側面を改善するためのインサイトを提供することもできる。

企業の変革に向けて

ヘルスケアエコシステムの形成・進化によって多くの新たな価値創造の機会がもたらされる可能性がある。一方で、そうした破壊的な変化が既存事業にもたらすリスクが大きすぎるために、多くの企業では現状のケイパビリティでは変化に十分対応しきれない可能性がある。このような破壊的変化がもたらす新たな価値創造の機会を確実に捉え、既存事業に対するリスクを克服するためには、以下の5つの要諦をおさえた企業変革を推進する必要がある。

1. 差別化ケイパビリティを重視する

目指すべき戦略(ここではエコシステムへの「参入モデル」)を検討する上で重要なのは、選択した戦略で競合と差別化を図り、市場で優位に立つために求められるケイパビリティは何かを考え抜くことである。逆の見方をすれば、差別化可能な自社のケイパビリティが特定できれば、そうしたケイパビリティを生かすことができる戦略を選択すべきである。つまり、勝つための戦略を立案するためには、自社の既存の製品やサービス、有形資産ではなく、ケイパビリティを重視する必要がある、ということである。そして差別化ケイパビリティが特定されれば、他社を圧倒するまでそれを強化するために徹底的な投資を行う必要がある。しかし、そうした投資の原資を得るためには、差別化につながらない他のケイパビリティに要するコストを徹底的に削減することが求められる*1

差別化ケイパビリティを見極めるための重要なポイントが2つある。1つ目は、差別化の源泉が明確になるようにケイパビリティを具体的に定義することである。例えば「営業力の高さ」という表現は「営業力」が何を指すかが不明であり、営業力が高いことが本当に差別化につながるのか、判断できない。「個々の営業スタッフのルートセールスの生産性の高さ」かもしれないし、「全国随一の顧客のカバレッジ」かもしれない。そして、それらが本当にエコシステムにおける新たな価値創造の競争の中で差別化につながるのか、なぜそう思うのかを自問自答し続け、本質的な「差別化ケイパビリティ」を探っていくのだ。2つ目は、視点を変える、ということである。例えば、コンプライアンス管理の厳しさが意思決定の遅さやリスクテイキングの機会の制限につながり、自社の弱みと捉えられかねない場合でも、コンプライアンス遵守力(当局レギュレーションやSOPを組織として遵守する力)が、逆に強みになる可能性も検討してみる価値がある。

2. 機会を捉え早く動き始める

ヘルスケアエコシステムは、「患者・未病者の健康に関わるステークホルダー(利害関係者)が相互にダイナミックに織りなすエコシステム(生態系)」であり、技術の進歩、規制の変化などのさまざまな環境変化の中で、破壊的プレイヤーの参入、プレイヤー間の新たな連携による新規事業モデルの誕生など、刻々と生態系が変化する。つまり「様子見」して市場が成熟してから参入を決めるという伝統的な戦略モデルオプションは通用しない。まずは事業機会の仮説があれば、早期にその仮説検証のために動くことが重要である。利益確保の目途が立つ事業計画を机上で練り直している時間があれば、小規模でもまずは市場に参入し、顧客や他のプレイヤーに耳を傾け、ネットワークを広げていくべきである。そうして積み重ねた努力と経験が、後続の市場参入者に対する優位性につなげることができるのである。

3. アジャイル組織へのチェンジマネジメントを推進する

上述のように既存事業とは異なるスピード感で「機会を捉え早く動き始める」ためには、組織構造、運営のシステム、人材・スキル、そして企業文化を包括的に見直すチェンジマネジメントが必要となる。新規事業推進部門を立ち上げ、各部門から人材を集めて事業開発を行うケースはよく見られるが、既存事業の運営のために最適化された意思決定プロセス・ガバナンスなどの組織運営システム、評価制度や報酬制度などの人事制度は、往々にして新規事業部門に求められる迅速かつリスクを許容した意思決定、先行投資を伴い、中長期的な収益化を目指す事業計画推進の足かせになる。また既存事業で高く評価された人材を集めただけでは、既存事業の常識・知識・経験が判断軸となり、多面的な視点、新たな発想が生まれにくい。製薬企業にとっては薬価制度に基づいて、誰に(最終的には患者に)いくらで製品を売るかは決められるため、新規事業を考える上で、誰にどのように製品・サービスを提供してどのように儲けるか、という本質的な問いに最適解を見いだすのに苦労するケースが散見されるが、それがまさにその一例である。

こうした課題を克服するためには、組織システム全体の変革が必要となる。エコシステムにおける新たな価値創造を企業戦略全体の中でどのように位置づけるかにもよるが、全社的に事業モデルの転換を図る大改革であれば、全社組織変革のチェンジマネジメントが求められる。コア事業とは別に新規事業を位置付ける場合には、担当部門に組織運営上の「特例」を与えるか、子会社化、パートナー企業との合弁会社といった形で、異なる組織運営システムを可能にする組織を別に立ち上げることも選択肢の1つとなる。

4. 他者と協力してイノベーションを生み出す

企業はしばしば自社の領域を超えて、規制当局、同業企業、その他ステークホルダーとパートナーシップを結び、仕事上の関係を築く必要がある。企業にとってパートナーや規制当局者、保険会社と協力することは、問題を見直し、リスクを減らす方法を調べ、新しく重要性の高いイノベーションの機会を解き放つチャンスである。破壊の潜在力を考慮しつつ、同時にイノベーションと成長への道筋を担保した潜在的解決法を編み出すために他者と協力することで、競争優位性を高めることができる。パートナーシップとは、リスク共有を行い、新しいケイパビリティを確立する、あるいは他者が既に確立したケイパビリティに投資を行うことを意味する場合が多い。

そのためにはアライアンスの目的を明確にし、適切なパートナーを見いだし、イノベーションの創出に最適な「組み方」を模索して合意形成を図る必要があるが、その実現には新たなコンピテンシーが求められる。製薬企業の例を見れば、既存事業においては多くの場合、同業他社とのライセンス契約、共同開発、共同プロモーションがアライアンス担当者の主業務である。一方、エコシステムでのパートナーシップ形成には、業界を超えた広範なネットワーク、業界知識、ターゲット企業の「目利き力」などが求められる。

5. データと分析力で競争優位性を構築する

日々の事業活動や消費者の生活にテクノロジーが浸透してきたことで、豊富なデータの入手が可能になった。これらのデータを分析することによって、消費者や企業、市場動向に関する深いインサイトを得られることから、どの企業においても競争優位の源泉の1つとして、データの利活用の重要性を認識していることは言うまでもない。しかしながら、データの利活用を他社と差別化されたケイパビリティとして極めていくためには、以下の2つのポイントを抑える必要がある。

1つ目は、データ分析の目的をはっきりさせることである。豊富なデータの入手が可能になったために、とにかくデータレイクを構築して、入手可能なデータをそこに集約することから着手する、といったアプローチを取る企業を見かける。しかし、最終的に抽出したいインサイト、そのインサイトに必要な分析とそのもとになるデータは何か、という順番から逆算して、必要なデータの獲得に動かない限り、無駄なデータを目的に合致しないフォーマットで入手することになったり、必要なデータが獲得できなかったりといった結果にもなりかねない。まずは具体的なユースケースを洗い出し、優先順位付けを行い、それに基づき全社データ基盤のto-beモデルのグランドデザインを行った上で、ユースケースごとにデータ構築を進める。その積み重ねを通じて、全社データ基盤を成熟させていくアプローチが、効率・効果の両面から望ましいと考えられる。

2つ目は、データ利活用で、どのように他社との差別化を図るかを見極めることである。差別化の要因としては、他社では獲得できない専有データ、豊富なデータ量、独自のインサイトを抽出することができるユニークな分析アプローチ、データ利活用プロセス全体のスピードなど多岐にわたる。もちろん、自社ではデータ利活用が差別化ケイパビリティにつながらないと判断したとしても、上記に挙げた要素において、他社に引けを取らない程度のケイパビリティの構築は必要である。

いずれにしても自社が利活用するデータ分析基盤をどのように構築するかがカギとなる。エコシステムにおける価値創造には、社外のデータへのアクセス、特に消費者・患者に関するヘルス関連データや行動データの獲得、分析、インサイト抽出が重要である。個人情報保護法などの規制遵守を前提に、本当に意味のあるデータを分析可能な形で収集し管理するためには、相応の投資と、エコシステムプレイヤーとの連携が必要不可欠であろう。

 

ヘルスケア産業における破壊的変化によってエコシステムが進化を続ける過程において、新たな価値創造の機会は今後も拡大していくことになるであろう。このチャンスを早期につかむためには、差別化ケイパビリティを明確にし、参入の型を決めて進化させながら、アジャイルな組織運営で価値創造の機会を他社に先んじて追求していく必要がある。

既存事業に注力する戦略を取る場合でも、差別化ケイパビリティを見直し、エコシステムの中での「勝ち方」を再定義する必要があるだろう。いずれにしても現状維持は敗北を意味する。「破壊するか、破壊されるか(Disrupt or be disrupted)」が今、問われている。

※レポート内に掲載されている執筆者および監訳者の所属・肩書は、レポート執筆・監訳時のものです。


*1:ヴィネイ・クート他(訳:PwC Strategy&), 2017.『 成長への企業変革―ケイパビリティに基づくコスト削減と経営資源の最適化』ダイヤモンド社
*2:第5章において Kai Lakhdar, 2019. The New Health Industry Ecosystem – What’s your way to play?を参照

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