脱炭素社会に向けた 水素の可能性と役割

気候変動対策は、世界全体で取り組むべき喫緊の課題である。今、各国はカーボンニュートラルの実現に向けて動き出している。しかし、これまで多くを依存してきた化石燃料から完全に脱却するには、さまざまなハードルがあり、エネルギーシフトは一筋縄ではいかない。そのような状況で注目されているのが「水素」だ。本稿では日本企業がカーボンニュートラルを実現する一部として水素を活用するうえでの課題とそのアプローチを考察する。水素を次世代エネルギーとして活用するために、経営者が着眼すべき動向についてご紹介したい。

「逆算方式」で打ち出した46%削減目標

日本政府は2021年4月22日、閣僚が参加する地球温暖化対策推進本部で、2030年時点での温室効果ガス(二酸化炭素:以下、CO2)削減目標を2013年度基準で46%とする中間目標を発表した。これまで日本政府は中期目標として2030年に26%減という数字を提示していただけに、産業界からは驚きの声が挙がったと同時に、日本の産業競争力を落とすものだとの批判も相次いだ。

しかし、日本政府の方針発表は必ずしも唐突だったわけではない。2015年開催の第21回国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP21)で採択されたパリ協定では、世界の平均気温上昇を産業革命以前に比べて2℃より十分低く保ち、1.5℃に抑える努力をすることを求めており、その時点から世界各国は「カーボンニュートラル(脱炭素社会)」の実現を目指し、CO2排出量ゼロに向けて動き出していたのである。この時点で、どこかの段階で日本政府が規制を強化することは明白だったと言えるだろう。日本政府にとってのオプションは、規制を強化するか、もしくは、パリ宣言での約束を破棄するか、の二択しかなかったのだ。厳しい言い方だが、46%削減目標を驚きをもって受け止めた日本企業の経営者は、カーボンニュートラルに対する予測が甘かったと言わざるを得ない。世界に目を向けてみると、2015年より以前から各国でESG投資(社会的責任投資)が大幅に増加している。パリ協定の締結以降、脱炭素に向けた規制強化が進むことを投資家たちは予想していたのだ。

日本は2020年10月に「2050年までにCO2の排出量を実質ゼロにする」という削減目標を打ち出し、12月には、脱炭素に向けた研究・開発を支援する2兆円の基金を創設するとともに「2050年カーボンニュートラルに伴うグリーン成長戦略」を公表した。さらに2021年3月に地球温暖化対策推進法改正でネットゼロを踏まえた基本理念を加えたが、これらの一連の動きはG7の中でネットゼロに対し積極的とはいえなかった日本が、国際社会の動き、特に米国が2020年11月の大統領選挙の結果パリ協定に復帰するという動きを想定しての対応との見方がされている。そのためこのネットゼロ目標は削減の道筋を国内で検討した上で設定されたものではなく、ネットゼロを巡る動向に歩調をあわせることで設定された点に留意が必要である。したがって、従来政策の延長で目標を設定すれば、各国が法制化して取り組んでいる「2050年までにCO2排出ゼロ」は、到底達成できるものではない。

一般的に目標の立て方は2パターンある。1つは「積み上げ方式」だ。これまでの実績や見通しを基に、「このくらいまでなら達成できる」という数値を掲げるアプローチである。もう1つは「逆算方式」だ。最初に達成が難しい目標を掲げ、それを達成するには何をすべきかを逆算して行動を促す。高い目標を達成するためには、当然、現状のままでは難しいこともあるため、新技術の開発や新たなアプローチを模索する必要がある。その結果、イノベーションが起こることも期待できる。日本政府が今回打ち出したのは「逆算方式」だ。米国のバイデン政権とともに、中国に対し、気候変動対策で足並みをそろえる、というような政治的背景に加え、目標達成に向けて新たな技術に目を向けるよう、日本政府が大鉈を振るったと見るのが妥当だろう。他方で、2030年まで、9年しか残されていないことから、イノベーションが生まれ、エネルギーシフトを行うには時間軸が短すぎるという批判は妥当である。政府目標が非現実的、という批判は、その限りにおいて正しいとも言える。逆に、政府も日本企業も2015年の時点で早急に動き始めるべきだった、と言えるのかもしれない。

2030年、46%目標を達成するのにグリーン水素は魔法の杖となるのか?

カーボンニュートラルを実現するうえで有力視されている技術はいくつかある。その1つが水素を用いた方法だ。

水素は、宇宙でもっとも多く存在する物質であり、燃焼させることで熱エネルギーを発生させる。石炭や石油といった化石燃料は燃焼するとCO2を排出するが、水素は燃焼してもCO2を排出しない。水素は生成方法によって以下の3つに分類される。なお、燃料としての水素はCO2を排出しないが、水素自体の生成過程でCO2を排出する場合があり、その過程におけるCO2排出によって、グリーン、グレー、ブルーの3種類に分けられる。

  • グリーン水素……太陽光や風力などの再生可能エネルギーを用いて水の電気分解によって生成する。CO2排出ゼロ。
  • グレー水素……化石燃料(主に天然ガス)を分解して生成する。生成過程でCO2を大気中に放出する。
  • ブルー水素……化石燃料を分解して生成する。製造過程で発生するCO2を抽出し、濃縮して地中に貯蔵するCCUS(Carbon dioxide Capture, Utilization and Storage:二酸化炭素回収・有効利用・貯留)技術を用いる。結果としてCO2排出を大幅に(90%程度)低減できる。


この中でCO2削減効果の観点から大規模な実用化がもっとも期待されているのは、グリーン水素である。電力会社など、エネルギーを供給する側ではオーストラリアや欧州、チリなどの水素エネルギー牽引国が2030年までにグリーン水素製造の実証段階を終えてコスト削減段階に突入し、大規模商用化を加速させる見通しだ。一方、製鉄や化学、運輸などのエネルギーを大量に消費する需要側も、2030年には天然ガスによる熱供給代替の大規模実証から、グリーン水素の導入を拡大する段階に入ると見られている。

一方、日本に目を向けるとグリーン水素の製造には大きなハードルがある。それは「再生可能エネルギーのコストが高い」ことだ。世界的に見ると再生可能エネルギーの価格は徐々に下がっているものの、日本は再生可能エネルギーに携わる人件費やソーラーパネルなどを設置する土地代が高いため、各国と比較して再生可能エネルギーのコスト削減ができない。当然、化石エネルギーから再生可能エネルギーへの転換が進まないと、国内でのグリーン水素生成はコスト高になる。そのため、グリーン水素を輸入することになるが、こちらもコスト高になってしまう。各国がパイプラインでつながっている欧州と、船舶で輸入をしなければならない日本では、事情が異なるのだ。

こうした背景から日本でグリーン水素のコストが下がり、大規模商用化の段階に入るのは、2040年ごろだと予測されている(図表1参照)。つまり、日本はグリーン水素牽引国と比較し、大規模商用化が10年後以降になると予想されているのだ。グリーン水素の世界でのコスト動向についてはPwCのレポート『グリーン水素経済*1』を参照いただきたい。

水素への注目が集まっているものの、このような状況から、2030年、46%目標達成への魔法の杖とはならない可能性が高い。

日本企業を直撃する炭素税のインパクト

とはいえ、再生可能エネルギーのコストが高いからといって、カーボンニュートラルに消極的な姿勢であれば、企業はさまざまなリスクを負うことになる。1つ目が企業に対するマイナスの評価・評判が広まることによる経営リスク、「レピュテーションリスク」だ。ESG投資に代表されるように、市場は企業が環境・社会面でどれだけ責任を果たしているかに注目するようになった。例えば大量にCO2を排出しているにも関わらず将来にわたって対策を講じていない企業は市場からの評価が下がる。結果、投資が引き上げられて株価が下落するリスクを抱えることになる。すでに欧州では「カーボンニュートラルに消極的な企業とは取引しない」と宣言をしている企業もあるほどだ。

2つ目が「炭素税」である。これは、炭素含有量に基づいて化石燃料の消費に課す税金で、環境コストを経済的に内部化するものだ。今後、炭素税は世界的に上昇することが予想されている。2021年7月現在、日本の炭素税はCO2 1トン当たり289円と世界的に「最安値」になっているが、2025年には欧州を中心とした先進国でCO2 1トン当たり63米ドルに、2040年には同140米ドルにまで引き上げられると予測されている(図表2参照)。

脱炭素に向けた技術

この炭素税は、日本企業の経営に大きな影響を与えるリスクと考えられており、多くの企業が対応を検討している。具体的な対応策は以下の3つが考えられる。

  • 化石燃料から再生可能エネルギーに転換する
  • 既存資産(設備)を活用しつつ、CO2の発生を抑制する
  • 排出したCO2を回収して貯蔵する

これら3案は、どれも一長一短がある。先述したとおり、再生可能エネルギー転換への課題はコスト増だ。再生可能エネルギーには太陽光・風力・水力発電といった自然エネルギーと、木質、トウモロコシ、藻類などを原料にしたバイオマスがある。自然エネルギーの場合、原材料費はゼロだが天候に左右されたり、設備の刷新に莫大な初期導入コストがかかったりする。バイオマスも、一部を除き、コスト減が見込めないうえに、例えばトウモロコシの場合は食料問題にも影響を及ぼし得ることから、再生可能エネルギーの原料として十分な量を確保できないという課題を抱えている。また、水素は2040年まで実用化が難しいことは上述の通りだ。

既存設備を活用しつつCO2の発生を抑制する方法では、「アンモニア混焼」がある。アンモニアは燃やしてもCO2を排出しない。そのため、既存の発電施設で化石燃料と混焼させることで、エネルギー効率を保ったままCO2の発生を抑制できると期待されている。

しかし、アンモニアは生産時のCO2排出の課題を解決する必要があり、コスト面での課題がある。アンモニアの構成成分は窒素と水素だが、窒素の固定化にはコストがかかる。さらに、窒素はたんぱく質の基になる成分であり、トウモロコシと同様に、食料問題の解決に向けて取り合いが生じ得るという課題もある。

では、排出したCO2を回収して貯蔵・有効活用するCCUSはどうだろうか。CCUSには大規模な設備投資が必要だ。2030年時点で商用化が始まると見込まれるものの、普及に至らない見通しだ。

以上より、水素やCCUSの商用化は2030年時点では困難であり、また一部、日本特有の問題から再生可能エネルギーは十分に供給されないうえに、コスト減の見込みは薄いと考えられる。2030年時点での「46%削減達成(2013年度基準)」はかなり険しい道のりだ。個人的な見解だが、短期的に、既存設備を活用するアンモニア混焼などを用いながら、中期的には炭素税導入に伴い相対的コスト優位性を獲得する再エネ転換を進め、長期的に、水素やCCUSの技術開発を待つというのが現実解の1つではないだろうか(図表3参照)。

自社の状況を客観的に分析する

ではこうした状況下、経営者はどのようにCO2削減の道筋を立てるべきか。

最初に行うのは自社設備・資産の棚卸だ。「どの設備で」「どのくらいのCO2を排出しているのか」、現状を可視化したうえで、「どのような技術を用いて」「どのくらいのCO2削減を実現するのか」といった大枠の戦略を検討しなければならない。その際には、まずは、費用対CO2削減効果の高い、いわばローハンギングフルーツを特定することが重要だ。高額の設備投資は、今後の技術開発によって、コスト減になるタイミングを見極める必要がある。

大枠の戦略を決定したら、次は具体的な施策に落とし込む。その際には、「その施策によってどれだけCO2が削減できるのか」だけでなく、「その施策によって炭素税がいくら節約できるのか」「化石燃料から脱却することで、得る市場と失う市場はどこなのか」までを分析し、どの施策がコスト的にもCO2削減の観点からも有用なのかを見極めなければならない(図表3参照)。そのためにはグローバル動向の情報収集や、自社が置かれている状況の分析が必要だ。こうした取り組みを自社で実施するのが難しい場合には、外部の専門家を活用するのも有効な手段だろう。

施策の落とし込みで大切なのは、前述した技術だけにとらわれず、これから伸びそうな技術にも目を配ることだ。日本ではベンチャー企業や大手企業など、さまざまな企業が新技術開発に取り組んでいたり、再生可能エネルギーや代替エネルギーの普及促進を下支えする技術を持っているケースがある。

例えば、藻類の研究開発を手掛けるベンチャー企業ユーグレナでは、使用済みの食用油と微細藻類から摘出した油脂を燃料にしたバイオ燃料を開発・販売している。同社は2020年にバイオディーゼル燃料を、2021年にはバイオジェット燃料の供給を開始。現在は車両・船舶・航空機でバイオ燃料が使用されている。

また、清水建設では、20年以上前から「月太陽光発電」の技術開発を進めている。月の赤道上に太陽電池を敷き詰めて発電し、月に設置したエネルギー伝送施設でマイクロ波レーザー光に変換する。そのうえで地球に向けてエネルギーを伝送するという技術である。

さらに、プラントの設計・調達・建設を中心に世界60カ国以上でプロジェクトを展開する千代田化工建設は、有機ケミカルハイドライド(OCH)法によって、安定輸送が難しい水素の安全かつ容易な大量輸送を可能にした。また、大手重工企業も、液化水素の長距離大量輸送や荷役技術の開発を進めており、水素のサプライチェーン構築を目指している。

藻類を原料にするバイオマスは、エネルギー密度の改善が進み、すでに実用化が進んでいるが、その他の技術は、どのタイミングでブレークスルーするか明確には特定できない。また、炭素税が導入されれば、化石燃料との相対的コスト優位性も高まるだろう。次項でも述べるが、欧米大手企業は、脱炭素施策の落とし込みに必要な技術開発を行うベンチャーとの協働を積極的に進めている。脱炭素、特に、Scope3を含む脱炭素は、1社で実現することは難しい。ベンチャーを含む他社との協働が重要となるだろう。

テックジャイアントの動向を「センサー」に

今後の動向を把握し、適切な判断を下せるようにしていくためには、顧客、規制、技術といった3つの変数に留意しなければならない。

顧客動向や規制動向は、欧州の動向に注目したい。日本よりも約10年先を行くと言われる各国の動きを把握することで、将来的に日本で起こりうることがある程度予見できる。一方、技術動向は不確実性が高い。例えば、再生可能エネルギー技術のコストは、以前の予想よりも圧倒的なスピードで削減が実現している。つまり、専門家であっても今後の技術動向の予測は難しいのだ。そう考えると、2040年と予測されている日本におけるグリーン水素の大規模商用化は、もっと早い時期に到来する可能性もある。

ただし、技術動向を注目するうえで1つ注意すべきことがある。それは、「希望的観測を盛り込まない」ことだ。特定技術に肩入れするあまり、客観的な視点が失われてしまうことがある。「水素エンジン自動車が登場すれば、電気自動車は一掃される」と主張する専門家もいるが、その論拠となるデータは水素エンジンのメリットばかりが書かれた報告書だったりする。技術動向を見るうえでは、自分の考えにバイアスがかかっていないかを常に自問自答しなければならない。

さらに大局的な視点で動向を予測するには、「テックジャイアントがどの企業・どの技術に投資をしているか」を「センサー」とするのも一案だ。例えば、大手米国IT企業の多くは、自社で巨大なデータセンターを運用している。彼らにとってエネルギー問題は企業の存続を左右する重要な課題だ。当然、再生可能エネルギーや次世代エネルギー技術には莫大な投資をしている。あるIT企業は、気候変動対策技術のVC(ベンチャーキャピタル)を創設し、CO2削減に取り組むスタートアップに投資をしている。こうした大手IT企業から投資を受けているスタートアップのビジネス領域や、その企業にはだれが投資をしているのかを見れば、ある程度の動向は把握できるだろう。


カーボンニュートラルの実現は10年スパンのトランジションであり、現時点で決定的となる技術は確立していない。そのような状況で特定の技術に的を絞り、大規模投資をすることはリスクが高すぎるだろう。経営者は技術が成熟するまでの期間は、顧客や規制、技術動向という「変数」にアンテナを張り、十分な情報収集・分析をもとに、いつでもトランジションプランを変更できる柔軟性を持たせておくことも必要であろう。


*1:PwC, 2021.『グリーン水素経済 今後の「脱炭素」の重要市場を予測する』


執筆者

磯貝 友紀

パートナー, PwCサステナビリティ合同会社

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